幽霊書店 by Christopher Morley

(4 User reviews)   2898
By Robert Nguyen Posted on Jan 10, 2026
In Category - Exploration
Morley, Christopher, 1890-1957 Morley, Christopher, 1890-1957
Japanese
Picture this: you're browsing a dusty old bookstore when you find a volume that seems to whisper your name. That's the eerie start of Christopher Morley's '幽霊書店' (Ghost Bookstore). This isn't your typical ghost story—it's about a haunted book that pulls a skeptical professor into a mystery spanning centuries. The real question isn't whether ghosts exist, but what happens when the past refuses to stay on the shelf. If you've ever felt a chill turning an old page, this book is for you.
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Produced by Kiyotoshi Hayashi Title: 幽霊書店 (Yurei Shoten) English Title: The Haunted Bookshop Author: Christopher Morley Translator: 林清俊 (Kiyotoshi Hayashi) Character set encoding: UTF-8 幽霊書店 クリストファー・モーリー 書店主各位へ このささやかな本を皆さまに愛情と敬意を込めて捧げます。 作品の欠陥はだれの目にもあきらかでしょう。わたしは「移動書店パルナッ ソス」において大活躍し、一部の方からありがたくもお褒めの言葉をいただい たロジャー・ミフリンの冒険談のつづきをお話ししたいと思ってペンを取りま した。ところがミス・ティタニア・チャップマンがあらわれ、若き宣伝マンが 彼女に恋をし、むしろこの二人が物語の中心になってしまったのです。 さて、一言申し添えておきますが、第八章でシドニー・ドルー氏のすばらし い才能を語った一節は、この魅力的な芸人の悲しむべき死の前に書かれたもの です。しかしながらそれは嘘偽りのない、心からの賛辞でしたので、わたしは 削除する理由はなにもないと考えました。 第一章、第二章、第三章、および第六章はもともと「ザ・ブックマン」に掲 載されたものですが、このすぐれた雑誌の編集者には再版の許可をいただいた ことを感謝します。 ロジャーは十台のパルナッソスに地方回りをさせることになりましたので、 もしかすると旅先で皆さまのお目に留まることがあるかもしれません。もしも そのような機会があれば、パルナッソス巡回書店株式会社のあらたな行商の旅 が、わたしたちの高貴な職業の、ふるくて名誉ある伝統をけっして汚すもので はないことをお確かめいただきたいと思います。 クリストファー・モーリー フィラデルフィアにて 一九一九年四月二十八日 第一章 幽霊書店 ブルックリンといえば、とびきりあざやかな夕映えと、女房持ちが乳母車を 押すすばらしい光景の見られる街だが、もしもあなたがそこに行くことがある なら、まことにめずしい本屋のある、とある静かな裏通りに行きあたることを 願う。 この本屋は「パルナッソスの家」という、いっぷう変わった屋号を持ち、店 をかまえた褐色砂岩のふるい快適な住居は、配管工とごきぶりが数代にわたっ てこおどりしてきた場所だった。店の主人は家を改装し、古本のみをあつかう 自分の商売にいっそうふさわしい聖廟をつくろうと苦労をかさねた。世界じゅ うを探しても、この店ほど敬服にあたいする古本屋はない。 寒い十一月のある晩、およそ六時ごろのこと、ときおり雨がはげしく降りそ そぎ、舗道にあたってはねかえるなか、ひとりの若い男が道に迷ったかのよう にときどき立ち止まりながら、頼りなげにギッシング通りを歩いてきた。彼は 暖かそうな明るいフランス式焼き肉料理店の前に立って、欄間窓にエナメルで しるされた番地と、手にしたメモを見くらべた。それからさらに数分歩きつづ け、ついに探していた住所にたどりついた。入り口の上の看板が目をひいた。 パルナッソスの家 R・ミフリンとH・ミフリン 愛書家のみなさん、ようこそ! ☞この店には幽霊がいます☜ 彼は詩神のすみかに通じる三段の踏み段をおり、立てた外套の襟をなおして、 あたりを見まわした。 そこは行きなれた本屋とはずいぶん様子がちがっていた。二階建てのふるい 家は、床が打ち抜かれてつながっていた。下の空間はいくつもの小さなアル コーヴ(くぼみ)にわかたれ、上のほうは回廊をめぐらした壁に、天井まで びっしり本が並んでいた。あたりはふるびた紙と革の馥郁としたかおりに満ち、 それにたばこの強烈なにおいが加わっていた。目の前には額入りの掲示があり、 こう書いてある。 当店には幽霊がいます あまたの偉大な文学の霊が。 にせもの、駄作は売りません。 本が好きなら大歓迎です。 むだ口をたたく店員はいません。 喫煙自由――ただし灰は落とさないように! ―― 閲覧はお好きなだけどうぞ。 値段はすべてわかりやすく表示されています。 ご質問があれば、もうもうたるたばこの煙に包まれた店主まで。 本は現金で買い取ります。 あなたに必要なものがここにあります。もっとも、それが必要だということ をあなたはご存じじゃないかも知れません。 ☞読書する力が栄養不足におちいると一大事です。 本の処方は当店におまかせください。 店主 R・ミフリン、H・ミフリン 店内はあたたかく落ちついた薄暗さ、いわば眠気をさそう夕闇のなかにあり、 緑色の笠をかぶった電灯がそこここで黄色い円錐形の光をはなっていた。たば この煙がすみずみまで行きわたり、ガラス製のランプシェードの下で渦を巻い たり、もやもやと立ち迷っていた。アルコーヴのあいだの狭い通路を通るとき、 仕切られた区画のあるものは完全な闇にとざされていることに訪問者は気がつ いた。ランプがともるほかの場所には机と椅子が見えた。「随筆」という表示 の下の一隅で、年輩の紳士が熱中のあまり恍惚とした表情を電灯に照らしださ れて本を読んでいた。しかし、たばこの煙がまわりにただよっていなかったの で、あれは店主ではないのだろうと、初めて店に来た男は判断した。 店の奥に行けば行くほど、まわりの印象はますます現実ばなれしていった。 はるか頭上に明かり取りの窓があって、そこに雨の打ちつける音が聞こえるの だが、それ以外はしんとしていて、まるで住んでいるのは、充満する煙の渦と、 随筆を読む男の明るい横顔だけのような感じがした。そこは秘密の神殿、奇怪 な儀式のとりおこなわれる聖廟のような印象で、若者は、なかば不安のために、 なかばたばこのために、喉元がしめつけられるような気がした。見あげると暗 がりのなかに本棚が何段もつみかさなっており、屋根にちかづくほど闇にしず んで見えるのだった。彼は褐色包装紙の筒と麻ひもをのせたテーブルを見つけ た。あきらかに商品を包装する場所だったが、店員のいる気配はなかった。 「この店には本当に幽霊が住み着いているのかもしれない」と彼は思った。 「たばこの守護神で、ここが気にいったサー・ウォルター・ローリーの魂とか。 しかし店主は出没しないようだ」 彼の目は青くけむる店内を見わたしていたが、ふと卵のような奇妙な光沢を はなつ光の輪に気がついた。それは吊り電球の光を受けてまるく白く輝き、た ばこの煙の波間にうかぶ明るい島のように見える。ちかづいてみると、それは はげあがった頭だった。 この頭は、よく見ると、回転椅子にふんぞりかえった目つきのするどい小男 の上にのっており、彼がいる片隅がこの建物の中枢神経と思われた。男の前に は仕切り棚のついた大机があり、刻みたばこの缶や新聞の切り抜きや手紙とと もに、ありとあらゆる種類の本がうずたかくつみあげられていた。ハープシ コードに似た旧式のタイプライターが、原稿用紙の束に半分うもれていた。は げ頭の小男はコーンパイプをくゆらし、料理の本を読んでいた。 訪問者はほがらかに話しかけた。「失礼ですが、この店のご主人でしょう か?」 「パルナッソスの家」の店主、ミスタ・ロジャー・ミフリンは顔をあげた。 青いするどい目に、みじかい赤髭をたくわえ、いかにも有能で独創的な人物だ という雰囲気をただよわせていた。 「そうですが、なにかご用ですか?」 「わたしはオーブリー・ギルバートといいます。グレイ・マター広告代理店 を代表してまいりました。わが社に広告業務のとりあつかい、しゃれたコピー の作成、発行部数のおおきなマスメディアへの掲載などをまかせていただけな いかと思い、ご相談にあがりました。戦争もおわりましたから、販売拡大のた めに建設的な宣伝活動にとりくむべきだと思います」 店主はにっこりと笑みをうかべた。彼は料理の本を置き、勢いよくたばこの 煙をまわりに吹き出すと、楽しそうに相手を見あげた。 「きみ、わたしは宣伝をいっさいしないんだ」 「まさか!」相手はまるで背徳行為を目にして度をうしなったかのように叫 んだ。 「きみがいうような意味での宣伝ではない。わたしにとっていちばん役に立 つ宣伝は、業界最高の粋なコピーライターたちがやってくれている」 「というと、ホワイトウォッシュ・アンド・ギルト社ですね?」ミスタ・ギ ルバートは残念そうにいった。 「とんでもない。うちの宣伝をしているのは、スティーブンソン・ブラウニ ング・コンラッド商会だよ」 「おやおや」グレイ・マター社のセールスマンはいった。「そんな代理店は 知りませんでしたね。でも、うちのコピーほどパンチはきいていないでしょ う」 「おわかりじゃないようだな。わたしがいっているのは、うちの広告はわた しが売る本がやっているということだ。お客さんにスティーブンソンやコン ラッドの本を売るとするね。おもしろがらせたり、こわがらせたりする本だ。 するとそのお客さんと本が、わたしの生きた広告になるんだよ」 「しかしその手の口コミは時代遅れです。それじゃ販路拡大ができません。 大衆の前にトレードマークをかかげなければ」 ミフリンは大きな声でいった。「今は亡きタウフニッツ(註 ドイツの出版 業者)に誓っていおう! いいかい、きみは医療の専門家である医者のところ に行って、新聞雑誌で宣伝する必要を説いたりはしないだろう? 医者の宣伝 は医者がなおした肉体がする。わたしの商売の宣伝はわたしが刺激を与えた心 がする。それに一言いわせてもらえれば、本を売るのはほかの商売とちがう。 人々は自分が本を必要としていることを知らないんだ。わたしは一目見ただけ できみの心が読書不足で病んでいるとわかるが、きみはおめでたくもそのこと に気がついていない! 人は心に重い傷を受けたり、病いにかかり、重篤な状 態にでもならないかぎり本屋に来ないものだ。そういう状態におちいってはじ めて本屋に来る。わたしの考えでは、宣伝の効用とは、どこも悪いと思ってな い人に医者に行け、と忠告するようなものだ。きみはどうして人々が今までに もまして読書をするようになったのか、知っているかい? 戦争という大惨事 によって、みんなが心を病んでいることを知ったからだ。世界はありとあらゆ る精神の熱病、疼痛、障害にとりつかれていたのだが、そのことに気がつかな かった。しかしいまや、心の病いは明らかすぎるくらい明らかだ。だれもが貪 欲に、せっかちに本を読み、災難が過ぎ去ったいま、われわれの心のどこに病 巣があったのかを知ろうとしている」 小柄な店主は立ちあがり、訪問者は興味と警戒のいりまじった表情で彼を見 つめた。 「こんなところでも来る価値がある、ときみが考えたことがわたしには興味 ぶかい。本屋のすばらしい将来にたいする、わたしの確信を裏づけるものだ。 しかし商売を拡充するだけじゃ、ほんとうの未来はおとずれない。肝心なのは 専門家としての誇りを持つことだ。粗悪な本やいんちきな本や嘘を書いた本を ほしがると、一般大衆にむかって文句をいってもはじまらない。医者よ、汝自 身を癒やせ! 本屋に良書を見わけ、敬うことを学ばせよ。そうすれば客に教 えることができる。良書を読みたいという欲求はきみが夢想するよりはるかに 広がっているし、強いものだ。しかしそれはまだ、いうなれば意識下にとど まっている。人々は本を必要としているが、必要としていることを知らないの だ。たいていは必要としている本が存在することにも気づいていない」 「どうして宣伝でそのことを教えてやらないんです?」若い男はなかなかす るどく尋ねた。 「きみ、わたしも宣伝の価値は理解している。しかしわたしの場合はむなし いのだ。わたしは商品の卸業者じゃなくて、人の必要にあわせて本をえらぶ専 門家なんだ。ここだけの話、『よい』本という抽象的なものは存在しない。本 は人間の飢えを満たし、まちがいを証明するときにのみ、『よい』本といえる。 わたしにとってよい本は、きみにとって無価値ということもおおいにありうる。 わたしの楽しみはここに立ち寄り、喜んで症状を話してくれる患者さんに本を 処方することだ。なかには読書能力を衰退させてしまって、検死をしてあげる ほかは手のうちようのない人もいる。しかしたいていはまだ治療の道がのこさ れている。いちばん喜んでくれるのは、その人の魂が求めていた、まさにその 本を紹介することができ、しかもその本のことを知らなかったお客さんだ。こ の世に喜んでくれるお客さんほど強力な宣伝はないよ」 彼はつづけた。「わたしが宣伝をしない理由をもうひとつ話そう。猫も杓子 もきみがいうように大衆の前にトレードマークをかかげる今日では、宣伝をし ないというのがもっとも独創的ではっとさせる注目の集め方なんだ。きみをこ こに引き寄せたのも、わたしが宣伝をしないという事実だった。それにここに 来た人はだれもが、ここを発見したのは自分だけだと思っている。そして変人 と狂人が経営するこの本の収容所のことを友だちにいいふらし、今度はそれを 聞いた友だちがどんな場所なのだろうと見に来てくれるというわけさ」 「わたしもまたここにきて、本を見てまわりたいです。あなたに処方してい ただきたいですよ」と宣伝マンはいった。 「最初に学ぶべきは残念だと思う心だ。世界は四百五十年間、本を印刷しつ づけてきたが、火薬のほうがいまだにそれより広く行きわたっている。しかし 心配はいらない! 印刷屋のインクのほうが強力な爆弾だからね。いつかきっ と火薬を負かすだろう。そうだね、ここにはよい本が何冊かある。世界には本 当に重要な本が三万冊くらいしかない。そのうち五千冊は英語で書かれ、もう 五千冊が翻訳されているはずだ」 「夜もあいているんですか?」 「十時までね。うちのお得意さんは昼間ずっと働いている人が多くて、夜で ないと本屋に来ることができないんだ。真の読書家というのはたいてい貧しい 階層の人々だよ。読書に夢中という人は、仲間から金をまきあげてやろうなど と、あくどい計画をねる暇もないし、忍耐も持っていない」 小柄な店主のはげ頭は、包装台の上のつり電球の明かりを受けてひかった。 目は真剣さにかがやき、短い赤髭が針金のようにぴんと立っていた。彼はボタ ンがふたつとれた、みすぼらしい茶色のノーフォークジャケットを着ていた。 ちょっと狂信的なところがあるな、と訪問者は思った。しかしとても愉快な 狂信者だが。「それでは、ご主人、お話を聞かせていただいてほんとうに感謝 します。またまいります。おやすみなさい」彼はドアにむかって通路をもどり はじめた。 店の正面にちかづいたとき、ミスタ・ミフリンが天井高くぶらさがっている 電球の群れに明かりをともしてくれたので、若者は脇に大きな掲示板があるの に気がついた。切り抜き、お知らせ、回状、そして小さくこぎれいな字でカー ドに書かれた本の短評がそこを埋めている。こんな掲示が彼の目をとらえた。 処方箋 もしもあなたの心が、燐を必要としているなら、ローガン・ピアソール・ス ミスの「トリヴィア」をおためしあれ。 もしもあなたの心が、丘の上と、桜草の谷から吹きつける、青く清浄な一陣 の強い風を必要としているなら、リチャード・ジェフリーズの「わが心の物 語」を。 もしも鉄分配合の強壮酒と、とことん頭のなかを引っかきまわされるような 経験が必要なら、サミュエル・バトラーの「ノートブックス」あるいはチェス タートンの「木曜日の男」を。 「アイルランド的な奇想」、羽目をはずしたどんちゃん騒ぎが必要なら、 ジェイムズ・スティーブンスの「半神半人」を。教えるのがもったいないよう な、思った以上にいい本です。 砂時計をひっくりかえすように、時には心を上下反対にして、砂粒を逆流さ せるのもいいもの。 英語をいつくしむ人なら、ラテン語の辞書はとてもおもしろいはず。 ロジャー・ミフリン 人間はすでに多少知っている事柄でないと、あまり注意をはらわないものだ。 若者は書籍療法士が処方した本はどれひとつ聞いたことがなかった。彼がドア を開けようとしたとき、ミフリンがそばにあらわれた。 「ねえ、きみ」彼はどことなく妙におどおどした様子でいった。「きみとの 話はとてもおもしろかったよ。今晩、わたしはひとりなんだが――妻が旅行に 出ているんだ。よかったらいっしょに夕ご飯をどうだろう? きみが来たとき、 ちょうど新しいレシピを見ていたところだ」 相手はこの思いがけない招待に驚き、おなじくらい喜びもした。 「ああ、それは――ご親切にありがとうございます。でもほんとうにお邪魔 じゃないんですか?」 「とんでもない! わたしはひとりで食事をするのがだいきらいなんだ。だ れかうちに寄ってくれないかと思っていたところだ。妻がいないときはいつも お客さんを招くようにしている。ほら、店番があるから、わたしは家にいなけ ればならないんだ。召使いがいないので自分で料理をしている。料理はじつに 楽しいね。さあ、パイプに火をつけて、準備をするあいだ、くつろいでくれ。 奥の居間に行こう」 ミフリンは正面入り口の本の平台《ひらだい》につぎのように書かれた大き な札をのせた。 店主食事中につき ご用の方は ベルを鳴らしてください 札の横に大きくて古風なディナーベルを置くと、彼は先に立って店の奥へす すんだ。 この変わり者の商人が料理の本を研究していたせまい帳場のうしろには、左 右にほそい階段があって、それぞれ二階の回廊までのびていた。その階段のう しろの短いあがり段をあがると、家族が住まう奥の間にでる。訪問者はまねか れるままに左手の小部屋にはいった。黄色がかった大理石のすすけたマントル ピースのなかで石炭があかあかと燃えていた。その飾り棚の上には黒ずんだ コーンパイプが一列に並び、刻みたばこの缶が一つ置いてある。上の壁には びっくりするくらいどぎつい油絵がかかっていた。大きな青い馬車が、見たと ころ馬らしき、白い屈強な動物にひかれている。青々としげる草の背景が、画 家の力強い筆づかいをきわだたせていた。壁は本でびっしりつまっていた。貧 弱だが座り心地のよさそうな椅子が二脚、鉄の炉格子の前に引き寄せられてい る。からし色のテリヤが寝そべっていたが、火にちかづきすぎて、毛のこげる においがした。 「さあ、ここがうちの居間、くつろぎの礼拝堂だよ。コートを脱いでお座り なさい」 「あのう」とギルバートが話しはじめた。「こんなことをしていただいて― ―」 「なにをおっしゃる! さあ、座って魂を、神と台所のかまどにゆだねなさ い。わたしは夕食の支度をしてくる」 ギルバートはパイプを取り出し、うきうきした気持ちで奇妙な一夜をたのし む心づもりをした。彼は愛想がよくて、よく気がつく、人当たりのいい青年 だった。文学の話題にとぼしいことは自覚していたが、それは名門大学に進学 したものの、グリークラブと演劇活動がいそがしくて、読書する時間がほとん どなかったからである。しかし、主に噂で情報を手にいれるとはいえ、よい本 を読むのは大好きだった。年齢は二十五歳、職業はグレイ・マター広告代理店 のコピーライターだった。 彼がいる小部屋が店主にとって神聖な場所であることはあきらかで、店主個 人の蔵書が並べられていた。ギルバートは本棚を興味ぶかく眺めまわした。本 はぼろぼろにいたんでいるものがほとんどだった。どうやら古本屋の粗末な飼 い葉桶から一冊一冊選ばれたものらしい。どの本にも手あかと瞑想のあとがつ いている。 ミスタ・ギルバートは自己修養なるものに熱中していて、これは多くの若者 の人生をしおれさせてきたものなのだが、しかし大学卒という経歴や男子学生 友愛会《フラターニティ》のきらめく記章を負担に感じる人々にあっては賞賛 にあたいする情熱である。彼はふとミフリンが蒐集した本のタイトルをいくつ か書き抜いておけば、自分の読書の貴重な参考になるのではないかという気が した。彼は手帳を取り出し、興味をそそる本の題を書きつけはじめた。 フランシス・トンプソン全集(三巻) アパーソン「喫煙の社会史」 ヒラリー・ベロック「ローマへの道」 岡倉覚三「茶の本」 F・C・バーナンド「名案」 「ジョンソン博士の祈祷と瞑想」 J・M・バリー「マーガレット・オギルビイ」 テイラー「サグ団員の告白」 オクスフォード大学出版部総目録 C・E・モンタギュー「夜明けのたたかい」 ロバート・ブリッジズ編「人間の精神」 ボロー「ジプシー紳士」 エミリー・ディッキンソン「詩集」 ジョージ・ハーバート「詩集」 ジョージ・ギッシング「蜘蛛の巣の家」 ここまで書き取り、(嫉妬ぶかい女王さまである)広告のためにも、もう止 めたほうがいいと思ったとき、主人が小さな顔をかがやかせ、目を青い光の点 にして部屋のなかに入ってきた。 「さあ、ミスタ・オーブリー・ギルバート!」彼は叫んだ。「食事の準備が できました。手を洗いますか? じゃあ、いそぎましょう。こちらです。卵が 熱々で待っていますよ」 客が招じ入れられた食事室は、たばこの煙にかすむ店内や居間にはない女性 らしさをしめしていた。窓には笑っているようなチンツのカーテンがかけられ、 ピンクのゼラニウムの鉢が置いてあった。オレンジ色のシルクにおおわれたつ るしランプの下には、テーブルが置かれ、まばゆい銀器や青い皿がならんでい た。カットグラスのデカンターには赤茶色のワインがきらめいている。有能な 広告業者は気持ちが高揚するのをはっきりと感じた。 「さあ、座ってください」ミフリンは大皿のふたを取りながらいった。「こ れはサミュエル・バトラー風卵といいまして、わたしが考案した、卵料理の精 髄ですぞ」 ギルバートはその考案を賞賛の言葉でむかえた。サミュエル・バトラー風卵 を家庭の主婦のメモ用に簡単に紹介すると、トーストの土台にベーコンの薄切 りと、かためにゆでた落し卵をのせ、まわりをきのこで飾ってピラミッド状に し、てっぺんに唐辛子をふりかけたものといっていいだろう。全体に考案者秘 密のあたたかいピンク色のソースがかけられている。書店主のシェフはこれに フライドポテトをべつの皿からもりつけ、客のグラスにワインをそそいだ。 「これはカリフォルニアのカトーバ・ワインだ。このなかで葡萄と太陽の光 が、それぞれさだめられた運命をじつに味わいよく、しかも安価にまっとうし ている。きみの黒魔術、広告の繁栄に乾杯しよう!」 広告の本質をなす心理作戦の要諦は、如才のなさ、聞き手の気分にぴったり の口調や言葉づかいを直感的に察知することにある。ミスタ・ギルバートはこ のことをよく理解していた。主人はおそらく本屋という神聖な職業よりも、美 食家としての余技のほうを自慢に思っているのではないかと彼は直感した。 「ご主人」彼はジョンソン博士のまねにしては、ずいぶんわかりやすい言葉 づかいでそう話しはじめた。「かくも美味なる一品を、かくもすばやくおつく りになるなど、はたして可能でありましょうか? わたしをかついでいらっ しゃるのではありませんか? ギッシング通りとリッツホテルの厨房のあいだ に秘密の通路がありはしないでしょうね?」 「ああ、妻の手料理を味わってごらんなさい! わたしは彼女がいないとき に道楽で手を出すしろうとにすぎない。妻はボストンの従姉妹をたずねている。 この建物にこもるたばこの煙にうんざりして、当然といえば当然なんだが、健 康のために年に一度か二度、ビーコンヒルのすんだ空気を吸いに行くんだよ。 妻が留守のあいだ、家事という儀式を研究するのはわたしの特権だ。店でたえ ず興奮したり思索したりしたあとでは、心をしずめるのに非常にいいね」 「本屋さんはとてものどかな生活をおくっているものだと思っていました が」 「とんでもない。本屋の生活は爆弾倉庫に住むようなものだ。あの棚にはこ の世でもっとも危険な可燃物――人間の頭脳がならんでいる。雨の日の午後を 読書してすごすと、わたしの心は人間がかかえる諸問題にかき乱され、不安に おちいり、気がめいってしまう。あれはおそろしく神経をつかれさせる。カー ライル、エマーソン、ソロー、チェスタートン、ショー、ニーチェ、それに ジョージ・エードに囲まれてみなさい――興奮するのも当然じゃないかね? もしも猫が好物のイヌハッカのつづれ織りで飾られた部屋に住まなければなら ないとしたらどうなるだろう? そりゃあ、気が変になるだろう!」 「正直にいって、本屋さんにそんな側面があるとは思いもよりませんでし た」と若者はいった。「しかし、それなら図書館はどうしてあんなにおごかな 静けさにつつまれた神殿なのでしょう? あなたがおっしゃるように本が挑発 的なら、図書館員はみんな秘儀の祭司のように甲高い叫び声をあげ、ひっそり したアルコーヴのなかで夢中になってカスタネットでも打ち鳴らしそうなもの ですよ!」 「だがね、きみ、きみは検索カードを忘れているよ。図書館員は、魂の熱冷 ましとして鎮静効果のあるしかけを考え出したんだ。わたしが台所の儀式を利 用するのとまったくおなじだ。集中してものを考えることができる図書館員だ もの、ひんやりとして心をいやす薬のような検索カードがなければ、みんな頭 がおかしくなるよ! 卵のおかわりはどうだい?」 「ありがとうございます」ギルバートはいった。「この料理の名前のもとに なった執事《バトラー》はだれでしたっけ?」 「なんだって?」ミフリンはショックを受けて叫んだ。「きみはサミュエ ル・バトラーを聞いたことがないのか? 『万人の道』の作者を? きみ、こ の本と『エレホン』を読まずに死んだ人間は、天国に行く機会をわざと放棄し たようなものだ。あの世で天国に行けるかどうかはわからないが、この世には まちがいなく天国がある。それはよい本を読むときに住まうことができる天国 だ。ワインをもう一杯めしあがれ。それではここでひとつ……」 (ここからサミュエル・バトラーの反逆的な哲学について、熱のこもった説 明がはじまるのだが、読者に敬意を表して割愛しよう。ミスタ・ギルバートは 会話の最中にメモを取り、うれしいことに、自分の罪ぶかさを心から自覚した らしい。数日後、彼は市立図書館にあらわれ、「万人の道」はないかとたずね ているところを目撃されている。図書館を四つ訪ねてまわり、いずれの場所で も本が貸し出し中であることを知り、彼は一冊購入せざるをえなかったが、そ のことを後悔はしていない) 「おやおや、お客さまをおまねきしながら、わたしはなにをしているのや ら」ミフリンはいった。「デザートはアップルソース、ショウガ入りケーキ、 そしてコーヒーだよ」彼はからになった皿を手早くテーブルからかたづけ、つ ぎの品を持ってきた。 「さっきから食器棚の上の注意書きが気になっていたんですが」ギルバート はいった。「今晩、かたづけのお手伝いをさせてもらえませんか?」彼は台所 のドアのちかくにかかっている札を指さした。それにはこう書いてある。 食事が終わったすぐあとに かならず皿を洗うこと あとで手間がかかりません 「残念だが、いつもあの教えを守っているわけではない」店主はコーヒーを そそぎながらいった。「妻は注意をうながすために出かけるときはいつもあれ をかけていく。しかしわたしたちの友人、サミュエル・バトラーがいうように、 些末なことにとらわれるおろか者は、大切なことを見失うおろか者だ。わたし は皿洗いにかんして人とはちがう見解をもっていて、わたしなりの流儀でたの しんでやっている。 わたしは皿洗いをいやしい雑用、いってみれば眉間にしわをよせ、辛抱づよ く堪えしのばなければならない、憎むべき試練にすぎないと思っていた。妻が はじめて出かけたとき、わたしは流しの上に書見台と電球を取りつけ、手が自 動的に食器洗いというくだらない行為をおこなっているあいだ、本を読んでい たものだ。偉大な文学の霊を悲しみの友にし、鍋や皿にまじって水をあび、の たうちまわりながら、『楽園喪失』やウォルト・メイソンをずいぶん暗記した。 よくキーツの詩の二行を口ずさんで自分を慰めたものだ。 動きやまぬ波は神官のごとく 人住まう大地の岸辺を浄め…… そのとき、新しいものの見方にはっと気がついた。人間は、いかなる仕事も、 強制されて苦行のようにいつまでもつづけることはできない。どんな仕事であ れ、それになんらかの精神的な意味を賦与し、ふるい考え方を打ちこわし、心 から望むものに作り変えなければならない。皿洗いの場合はどうしたらいいだ ろう? わたしはこの問題を考えながら、かなりの数の皿を割ったよ。そしてふいに、 これこそわたしに必要な息抜きなんだとさとったのだ。それまで、人生の栄光 や苦悩について相矛盾する見解を叫びつづけるやかましい本たちに終日囲まれ、 頭がくたくたになってしまうことに不安を感じていたのだ。それなら皿洗いを わたしの鎮痛剤と湿布薬にしたらどうだろう? どうにもならないような事実も、あたらしい角度から見ると、おどろくほど 輪郭や縁の形がちがってくるものだ! とたんに洗い桶は一種、哲学的な神々 しさをおびて光りはじめた! なまぬるい泡だらけの水は、かっかした頭を冷 す特効薬になり、コップや皿を洗って乾かす地味な行為は、いうことを聞かな いまわりの世界に人間が押しつける秩序と清潔さの象徴に変わった。わたしは 流しの上から書見台と読書灯をとっぱらった。 ギルバートさん、笑わないで聞いてほしいんだが、わたしは独自の台所哲学 を発展させたんだ。台所はわたしたちの文明の聖堂、人生における好ましいも のすべての中心だと思う。ストーブの赤いかがやきは、どんな夕焼けにも負け ないくらい色鮮やかだ。丹念にみがかれた水入れやスプーンは、ソネットのよ うに優雅で、完璧で、美しい。きちんと洗って水切りをし、裏口のドアの外に ほしてある皿洗い用のモップは、それじたいが一編の説教だ。冷蔵庫の水受け をからにして、スコットランド風にいえば、台所をくまなく『レッドアップ (整理)』したあと、勝手口から見る星くらいかがやかしいものはない」 「とてもすてきな哲学ですね」とギルバートはいった。「さあ、食事がおわ りましたから、ぜひ皿洗いのお手伝いをさせてください。あなたの汎皿論をた めしてみたくてうずうずしているんです」 「きみ」ミフリンはせっかちな客を手で押さえるようにしていった。「たま には否定を甘んじて受けいれるぐらいでないと、本物の哲学とはいえない。い やいや――いっしょに皿を洗ってくれとたのんだんじゃないんだ」彼は客をふ たたび居間のほうへ導いた。 「きみが入ってくるのを見たとき、新聞記者が取材に来たのかと心配になっ たよ。いちど若いジャーナリストがうちに来て、非常に不愉快な目にあったこ とがある。やつは妻に取り入って、わたしたちの話を本にしてしまった。『パ ルナッソス移動書店』というんだが、わたしにとってはいささか目ざわりな本 でね。その本のなかで、わたしは本屋の仕事について、あさはかで感傷的な発 言をいくつもしていることになっているんだが、それが同業者をいらいらさせ ている。しかしさいわいなことに、その本はほとんど売れなかった」 「聞いたことがない本ですね」とギルバートはいった。 「本屋の仕事に真剣な興味があるなら、いつかまた晩に来てコーンパイプ・ クラブに顔を出しなさい。月に一回、書店主が大勢ここにあつまって、コーン パイプをくゆらし、リンゴジュースを飲みながら本の話をするんだ。じつにい ろいろな書店主がいるよ。一人は図書館の話ばかりをする。彼は、市立図書館 をことごとく爆破すべし、と考えている。それから映画が出版業を破滅させる と考えている人もいる。ばかな話だ! 精神をとぎすまし、疑問をいだかせる ものは、どんなものであれ、かならず読書欲をかきたてるものだ」 「本屋の生活は知性をひどく堕落させる」一息おいて彼はつづけた。「数知 れぬ本に取り囲まれているが、すべてを読むことはできないので、あっちを ちょいとのぞき、こっちをすこしかじるという読み方をする。しだいに頭のな かは漂流物の寄せ集め、うすっぺらな意見、千の生半可な知識でいっぱいにな り、ほとんど無意識のうちに、大衆の需要という尺度で文学を評価しはじめる。 ラルフ・ウォルド・トラインはラルフ・ウォルド・エマソンよりすぐれている のではないかとか、J・M・チャプルはJ・M・バリーとおなじくらい偉大な 文人じゃないかとか考えるようになる。こうして知性は自殺してしまうのだ。 しかしよい本屋には一つだけ認めてやらなければならないことがある。それ は寛容だということだ。本屋はどんな思想や理論にも辛抱づよく接する。奔流 のような人間の言葉にのみこまれても、喜んで一人ひとりの言い分に耳をかた むける。出版社のセールスマンにさえおおらかに耳を貸す。人類の幸福のため ならすすんでだまされようというのだ。よい本が生まれることをひたすら願っ ているのだ。 わたしの商売は、ごらんのとおり、ほかとくらべるとずいぶん毛色がちがっ ている。あつかっているのは古本だけだし、買い取るのも正当な存在価値があ ると、わたしが考える本だけだ。人間の判断がおよぶ範囲で、わたしは駄本を 棚に置かないようにしている。医者はにせの薬を売買しない。わたしはいいか げんな本を売買しない。 先日、おもしろいことがあったよ。あるお金持ちで、ミスタ・チャップマン という人がいるんだが、この店に足繁くかようになってもうずいぶんにな る……」 「もしかするとチャップマン・デインティビッツ株式会社のミスタ・チャッ プマンですか?」ギルバートは勝手を知った領域に足を踏み入れたことを感じ ながらいった。 「そうだが」ミフリンはいった。「知っているのかい?」 「やっぱり」青年は敬意のこもった声で叫んだ。「あの人こそあなたに広告 の美徳をお話しできる人ですよ。あの人が本に興味を持っているとしたら、そ れは広告のせいです。あの会社の広告は、すべてうちが引き受けているんです ――わたし自身もたくさん作りました。わたしたちがチャップマン社のプルー ンを、文明と文化の必需品にしたんです。大きな雑誌ならかならずのせている 『わが社の自慢、チャップマン・プルーン』というあの標語はわたしが考えた んです。チャップマン社のプルーンは世界じゅうが知っています。日本の帝 《みかど》は一週間に一回食べているし、ローマ法王も食べています。そうだ、 講和会議に出席するため大統領が乗船するジョージ・ワシントン号にも十三箱 積み込まれたって話ですよ。チェコスロバキア軍の糧秣はほとんどがプルーン でした。チャップマン・プルーンの宣伝が戦争勝利におおいに寄与したと、う ちの会社は確信しています」 「このまえ読んだ広告――もしかしたらあれもきみが書いたのかい?」と店 主はいった。「エルジン時計が戦争を勝利に導いた、というやつだが。ともか く、チャップマンさんは長いことうちのお得意さんのひとりなんだ。彼はコー ンパイプ・クラブのことを聞いて、もちろん書店主じゃないんだが、ぜひ集ま りに参加したいと熱心に頼みに来た。わたしたちは大歓迎だったし、彼も真剣 に議論の輪にくわわってくれた。鋭い意見を出すこともしばしばあった。彼は 本屋の生活にいれこんでしまって、先日、娘さんのことでわたしに手紙をよこ したくらいだ。(チャップマンさんはやもめ暮らしをしている)娘さんは上流 階級の女の子が通う学校に行っているのだが、彼がいうには、そこで常識はず れの贅沢な俗物思想をたっぷり吸収したらしい。人生の意義とか美しさがわか らない点は、ポメラニア犬とおなじだそうだ。彼は娘を大学にやるかわりに、 わたしたち夫婦が引き取って、ここで書籍商の仕事を教えてくれないかといっ てきた。彼女には自活しているように思わせておいて、内緒で住み込みの費用 を払うというのだ。本に囲まれていれば、すこしは良識をわきまえるようにな るのではないかと考えているようだ。そんなことをこころみて大丈夫なのかと、 ちょっと不安なんだが、しかし店にとっては名誉なことだ。ちがうかね?」 「おどろいたなあ」ギルバートは大声を出した。「それをネタにしてすごい コピーが作れますよ!」 ちょうどそのとき店のベルが鳴り、ミフリンは飛びあがった。「夜のこの時 間帯はちょいとだけいそがしくなることがある」彼はいった。「残念だが、下 に行かなければならない。常連客のなかには、わたしが本の話に花を咲かせよ うと、うずうずしながら待ちかまえていると思っている人がいる」 「お礼の言葉もないくらいたのしかったです」ギルバートはいった。「また お邪魔して、本棚をじっくり見ることにします」 「そうだ、さっきのお嬢さんの話は秘密にしておいていただきたい」と店主 はいった。「きみのようなさっそうとした青年が押し寄せて、彼女の心をまど わすようではこまる。この店にいるあいだ、恋をする相手はジョセフ・コン ラッドかジョン・キーツにしてもらわなければね!」 外に出て行くとき、ギルバートはロジャー・ミフリンが髭をはやした大学教 授風の男と話しているのを見た。「カーライルの『オリバー・クロムウェル 伝』ですか?」彼はそういっていた。「もちろんですとも! こちらですよ! おや、変だな! ここにあったんだがなあ!」 第二章 コーンパイプ・クラブ* *読者が書店経営者でないなら、本章の後半は飛ばしていただいてかまわない。 幽霊書店は魅力にあふれる店だが、とりわけ夕方、ものういアルコーブにラ ンプの光がともり、本の列を照らし出すときがそうだった。多くの通行人がひ たすら好奇心にかられて階段をおりてきた。それ以外のなじみの客は、クラブ を訪れる男のようにゆったりとした気分で店に立ち寄った。ロジャーは店の奥 で机にむかい、パイプをふかして本を読むのが常だったが、客に話しかけられ ると、たちまち会話に夢中になった。おしゃべりな獅子は身体のなかに眠って いるだけで、それを目ざめさせるのは造作もなかった。 夜も営業している本屋は、どこも夕食後が多忙な時間帯といっていいだろう。 真の読書好きは夜行性の種族であって、闇と静けさと笠を被った電球の光が、 あらがいがたい力で読書へと誘《いざな》うまで外に出ようとしないからだろ うか? もちろん夜は文学と神秘的な類縁性を持っている。イヌイットが偉大 な書物を生み出していないのは奇怪なことだ。われわれのほとんどは北極の夜 などオー・ヘンリーとスティーブンソンがなければ耐えられないだろう。また、 いっときアンブローズ・ビアスにかぶれたロジャー・ミフリンはこういったこ ともある。真に甘美な夜《ノクテス・アムブロジアナエ》は、アンブローズ・ ビアスの夜である、と。 しかしロジャーは十時になるとパルナッソスの家をさっさと閉めた。その時 刻に彼とボック(からし色のテリヤで、ボッカチオから名前をとった)は、店 を巡回してすみずみまで点検し、客用の灰皿をあけ、正面ドアに鍵をかけて明 かりを消した。そのあと彼らが居間にもどると、たいていミフリン夫人が編み 物か読書をしていた。彼女はポットにココアをわかし、二人は床につくまでの 半時間あまりを読書やおしゃべりで過ごすのである。ロジャーは寝る前にギッ シング通りを散策することもあった。一日じゅう本といっしょにいると、精神 的な疲労は相当なものになる。だからブルックリンの通りを吹き抜けるさわや かな風にあたって、ボックが老犬らしく鼻を鳴らしたり、夜道をのろのろ歩く かたわら、読書中に思いついたことをじっくり考え直したりしたものだ。 しかしミセス・ミフリンが家にいないとき、ロジャーの行動はいつもの手順 をいささか逸脱する。店じまいをしたあと、彼は机にもどり、こそこそと恥ず かしそうに、いちばん下の引き出しからメモや原稿が乱雑につめこまれた紙ば さみを取り出す。これは押し入れのなかの骸骨、人に知られてはならない彼の 罪悪だった。それはすくなくとも十年のあいだ、彼が編集して本にしようとし てきた資料で、「文学ノート」、「松葉杖をついた詩神」、「本とわたし」、 「若き書籍商が知っておくべきこと」などといったいろいろな仮題がつけられ ていた。はるか昔、彼が本の行商人として田舎をうろつきまわっていたころに 「農民と文学」という題で書きはじめたものなのだが、しだいに枝葉がついて、 ついには(すくなくとも分量だけは)リドパス教授の布張りの著作(註 「リ...

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The Story

Professor David Grey is a man of facts, not fairy tales. While researching in Tokyo, he stumbles upon a small bookstore with one peculiar rule: never open the sealed manuscript in the back room. Of course, he opens it. What follows is a slow-burn mystery where the ghost isn't a person, but a story itself—a tale of lost love and betrayal from the Edo period that begins to rewrite David's own life. The lines between his research and reality blur as pages from the past start appearing in his modern world.

Why You Should Read It

Morley writes ghosts like no one else. The haunting here is quiet and persistent, like a memory you can't quite place. David's journey from skeptic to believer feels earned, not forced. What stuck with me was how the book explores obsession—not just with ghosts, but with stories themselves. How far would you go to finish someone else's story? The Tokyo setting adds this wonderful layer of quiet streets and neon signs that makes the supernatural feel like it's hiding just around the corner.

Final Verdict

Perfect for anyone who prefers their chills to come from atmosphere rather than jump scares. If you love books about books, or stories where the past gently presses against the present, you'll find something special here. It's a slow, thoughtful read best enjoyed with a good cup of tea and a suspicious glance at your own bookshelves afterward.



📜 Public Domain Notice

This digital edition is based on a public domain text. You are welcome to share this with anyone.

Daniel Lee
8 months ago

If you enjoy this genre, it creates a vivid world that you simply do not want to leave. Highly recommended.

Susan Perez
1 year ago

Having read this twice, it challenges the reader's perspective in an intellectual way. Worth every second.

James Gonzalez
8 months ago

From the very first page, the plot twists are genuinely surprising. Highly recommended.

James Williams
1 year ago

After finishing this book, the storytelling feels authentic and emotionally grounded. One of the best books I've read this year.

4.5
4.5 out of 5 (4 User reviews )

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